|
■月に狂え いとしの君〜おまけ
ペーパーに載っけた、本編のおまけ話です。

満腹になったからだろうか。
それとも緊張の糸もとうとう途切れたのか。
行きつけのレストランでの食事を終えて車へと戻り、国道を走らせること二十分ほど。助手席に座る高耶は先ほどまで必死に襲いくる眠気と戦っていたようだが、今はすっかり夢の中だ。
信号待ちでブレーキを踏む直江は、シートへ深く身体を預けて瞼を閉じる高耶の顔へと視線を送る。
行きかう車のヘッドライトに照らされて夜に浮かび上がる彼の表情は、ひどくあどけなく見えた。
食事中ですら、意地を張るように固い表情を崩すまいと努めていた彼は、おそらく一ヶ月ほど前に直江が仕掛けた悪戯に対する警戒心を解けずにいたのだろう。
あの日、彼の自尊心をひどく傷つけた自覚はある。けれど、やりすぎたとは思わない。
隙を見せたのは彼の方だ。
それでも、こんな安らかな寝顔を目の前にしてしまえば可哀相だと思う気持ちが湧いてこないわけでもなかった。
可哀相で、いとおしい。
気が遠くなるほどの長い時間を彼と過ごしてきたけれど、こんなにも切ない気持ちになるのは、彼が仰木高耶という過去のしがらみから解き放たれた存在だからだろうか。
直江は高耶の頬へと手を伸ばして柔らかな肌の手触りを楽しみ、艶のある黒髪のうちへと指を滑らせる。
この指が彼に触れている。
彼の熱が伝わってくる。
その感触は強く直江の官能を刺激していく。
「貴方は無自覚に、私の心を狂わせる」
――月よりもよほど、性質が悪い。
信号が赤から青に代わるのを待つほんの短い時間。
直江は安らかな寝息をたてる高耶の口唇に、自分の火照った口唇を重ねた。
きっと今に、このどす黒い欲望を抑えられなく日がくるのだろう。
その時彼は、どんな表情で、どんな感情を自分にぶつけてくるだろう。
この関係が瓦解する日は、おそらく遠くはない明日のことだ。
「ここ……」
「まだしばらくかかりますよ。いいから眠っていなさい」
何事もなかったかのように運転を再開させる直江の横で、うっすらと目を開けた高耶が身じろいでいた。腕だけを差し出し彼の頭を撫でてやると、さすがの高耶も眠気には勝てない様子で再び急速に眠りの中へ落ちていく。
この愛しい存在を、愛したいのか。壊してしまいたいのか。
答えの出せぬままに、直江はざわつく心に胸を痛める。
目的地は近かった。
けれどもう少し。眠る彼を傍らに、夜を二人で走っていたい。
じんと、彼に触れた口唇が疼いて直江は嘲笑をこぼした。
仰木高耶という人間がいとおしい。
あとわずか、その日が訪れるまでは、彼を庇護して甘やかしてやれる存在でいたいと思う。
それは長くは続かない時間だとしても、できるかぎり長く優しく在れることを願わずにはいられなかった。
***
2013.05.03
|