■愛してくれるなら

  沖田の文は、捏造と妄想で出来ています(なに)
  はじめて登場させる人がいたりしますが、なにしろ全てが捏造で……(略!)
  
  
  
  ***


「どうしたんです、そんなところ」
にやにやとこちらを眺める山背に、麻生は困惑の表情を向けた。
首筋に貼られた絆創膏が、山背には気になって仕方ないらしい。
「龍さんのコレかい?」
小指を立てて見せる山背は、麻生の首筋には、色っぽい鬱血の跡が残っていると勘繰っているみたいだ。
「違うよ、だったらもっと堂々と見せてるさ」
「へえ?」
疑いの色濃い声とともに、にやけた山背の細い視線に見つめられ、思わず麻生からは苦笑が零れた。
会話の流れ上、冗談で軽口を叩いてみたものの、そもそも鬱血跡をさらして歩くなんてことは御免だ。しかし、本当に傷がそこにあるのだからしょうがない。
しかも、人前にはとてもさらせない傷跡だ。
よりにもよって、首筋に咬み跡だなんて。
引っ掻かれたくらいなら、猫にやられたなんて言い訳もできるのに、くっきりと歯型が残っている状態ではそれも無理というものである。明らかに疑わしいとは分かりつつ、麻生は大判の絆創膏をそこに貼りつけて出勤した次第だ。
「龍さんはもてるからな」
「もうやめてくれよ、最近色っぽいことなんか全くないんだから」
「またまた、隠さなくていいのに」
今日一日で、一体何人の同僚たちとこの会話を繰り広げることになるのか。麻生は考えるだけで憂鬱になってくる一日に、深い溜め息をつく。
じんと痛む傷口に、練のにやけた顔が浮かぶようだった。


 +++


「あいつ……」
一日の仕事に疲れきって自宅の鍵を開ければ、玄関に並んだスニーカーが目に入り、麻生はがっくりと肩を落とす。もちろん、自分のものではない履物だ。
何回言っても聞きやしない。同じ大人相手に、あと何度言えば、麻生の心労は消えるのだろうか。
「お前な、……」
スニーカーを脱いだ主の背中が見えた途端、言葉は急速に力をなくした。
文句を言おうと開いた口だったのに、すっかり気力の方が萎えている。文句を言うのにも、相当の力を必要とするものだ。
朝から夜まで、様々な人に言い訳をしたせいか、家に帰ってまで疲れる会話はしたくなかった。
「お帰り」
「いつからいる」
「うん? まだ一時間くらいだよ。ごはん食べる?」
「風呂入ったら貰うよ」
「じゃ、あっためとくね」
ソファに座って麻生を見上げる練は、至極機嫌がよさそうである。
こっちの苦労も知らないで――恨めしく思う麻生だが、邪気のない練の顔が嫌いなわけではない。見つめていれば、つられたように自然と薄い笑みが浮かんだ。
くたびれて帰宅した部屋で、出迎えてくれる人がいる。侘しいはずの食卓に、温かい料理が並ぶ。
部屋は明るい。
多忙な日々に、いつの間にか忘れていたもの、玲子がいなくなって以来、久方ぶりに触れた温かい家だ。



「結構くっきりだね」
風呂上がり早々、ソファに腰を下ろして冷えたビールを呷っていると、台所から歩いてきた練に傷跡を覗きこまれる。
「全くだ、これのせいでどれだけ苦労したと思ってる」
「いいじゃん、堂々としてればさ」
「できるか、馬鹿」
風呂に入るからと剥がした絆創膏の下には、いまだ赤く、練の歯型がついていた。
ついこの間までは、首の付け根に咬み跡が残っていたというのに、消えた途端に今度はこれだ。
「お前な、この咬み癖どうにかしろよ」
「別に、癖じゃないよ」
「嘘言うな。気付くと指の外っ側、咬んでるだろ」
例えば眠れずにいる夜、何かを黙って考えている時。練は自分の指に咬みついて、焦点を定めずただ目を開いていることがある。
見れば、右手の人差し指の付け根のあたりが真っ赤になっていることもしばしばだった。
それは癖なんだろう。だから、麻生としても無理に指摘してやめさせようとは思わない――が、被害が自分にまで及ぶとなれば話は別だ。
咬まれる時の力と言ったら、なにしろ皮膚を突き破るほどの強さである。相当の痛みを伴うことは言わずもがな、だ。
じゃれて咬みつかれるのとは、程度がまるで違う。
「結構、痛むんだ。後になってもずくずくと。前に咬まれたとこ、痣になってるぞ今は」
「小さいことでうるさいな。いいでしょ、俺の証だよ? 証」
「何が証だ。見えないところにキスマークつけるくらいの、可愛い真似ができないのか、お前は」
肩を落とし、麻生はソファに沈む。
今に始まったことではないが、不法侵入のことについてもそう、そしてこの件に関してもやはり、練が聞き耳を持つわけはなかった。
「あとでバンソコ貼り直してやるから、機嫌直してよ」
「俺は注意してるだけだ」
脱力して息をつけば、不意に自分にかかる影が濃くなる。覆いかぶさってきた練が照明を遮り、ソファの背に身体を倒す麻生の上に、影をつくっていた。途端に近付く互いの顔に、麻生は練から顔を背けて、間近の視線をやりすごす。
目が合ってしまったが最後、今日も練の罠にはまってしまうに違いない。
「今も痛いの?」
耳元すぐに、練の息がかかる。
鼓膜に直接練の甘い声が響き、麻生の身体が痺れた。
目を合わせなくとも、このままでは練のペースに流されてしまうだろう、逆らいがたい魅惑の声。危惧して、平常心を装う麻生の耳に、突如濡れた感触が襲う。
それが舌だと認識した時には、既に麻生の身体は、練の体重によって押さえこまれていた。
軽く口唇が触れた後、熱を帯びた舌が、耳朶を這う。
ねっとりと舐められ、その後で固い感触を耳に感じる。
「練」
歯が当っているのだと、その感覚が脳へと走ると、無意識に身体が強張った。
やんわりと甘咬みされているそこから、逃れようのない痺れが神経を巡る。
「傷付けたりしないよ」
緊張の走る身体を無視するように、練は何の痛みも麻生に与えることなく口唇を耳から離した。
唾液に濡れるそこに息を浴び、熱くなった耳元が急速に冷えていくのが分かる。
「あんたが傷付けないなら、俺もあんたを傷付けたりしない」
もう一度鼓膜に響いた、甘い声。その音が、麻生を捕らえる。
「俺はさみしがりやだから。あんたが愛してくれるなら、咬む癖だって直るかもしんないよ」
にっこりと笑った練は、呆ける麻生の口唇を自分のそれで掠めると、身軽な所作でソファから離れた。
まるで泡影、一瞬の口付けだ。
「飯、食べよう。お腹すいてんでしょ」
蠱惑の笑みを瞬時に引っ込め、練は人懐こい笑顔で言う。
はっと気付けば、既に練の背中は台所へと消えていった後だ。
かたや麻生は、首筋の咬み跡と甘咬みされた耳がじん、と疼くようで、身体の奥に生まれた熱の存在に気付かされる。
鼻歌混じりに料理をテーブルに並べる練とは反対に、麻生だけが一人、その場でじんわりと熱くなった身体を持て余していた。
練に再会してからこっち、してやられてばかりの毎日だ。
そのくせ、こうして翻弄していくかと思えば、ふとした瞬間に練は弱さを見せる。
さみしがりやだと、漏らした練が持つどうしようもない脆さも、麻生は知っているつもりだった。
「いつまでぼーっとしてんのさ。食欲ないの?」
「あるに決まってるだろ。腹ぺこだ。何せ、一日この傷の言い訳に神経使ったんだからな」
立ち上がってテーブルの前へと座る。
食卓には、食欲をそそる匂いと温かな湯気を上げた料理が、ずらりと並べられていた。どこのレストランよりもうまい、彼の手料理だ。
結局、文句もろくに言えず仕舞いで、今日も練にほだされて、最後にはこの料理で餌付けされている。
強いようで弱い、不均衡のようで均整のとれた練という男に、麻生はとてつもなく弱いのだった。



  ***

  
  
  2009.09