■特等席

  実は一年前に雑な感じで書いておいたのですが(なに)、修正してアップ!
  スミダガワの花火をテーマにしてみたのはいいけれど、何せ田舎人には、言問橋のあたりの様子が分かりようもない……!
  というわけで、色々な矛盾があると思うのですが、スルーして下さるか、突っ込んで下さると幸いです!
  
  
  ***


「花火、行こうぜ」
ある真夏の宵。事務所のドアを開けると、コンビニの白いビニール袋をぶら下げてやって来た練が廊下に立っていた。
ずい、と目の前に突き出された袋には、ビール缶と保冷パックがぎっしりと詰め込まれている。
「勘弁してくれよ、外に出るのだってお断りだ」
麻生はうんざりした表情で、練の申し出を却下した。
瞬間、練の顔は当然のごとく歪んだわけだが、麻生にしてみたら、もちろん理由があっての不承知である。
外出したくない子細を挙げるならば、まず第一に扉を開けただけで容赦なく入り込んで来た、凄まじい熱気と湿気だ。息苦しくなるほどの真夏の外気は、くたびれた身体には酷というものだろう。
練が持つビニール袋はこの湿度のせいで大量の水滴で覆われ、ぽたりぽたりと、床に染みを作っていた。
第二に――こちらの方が我慢ならないと思わせる所以だが、町を埋め尽くす、人、人、人である。
夏の一大イベントである隅田川花火大会が開催される今日。
芋の子を洗うような、とは、まさにこの事を言うのだろう。夏の風物詩を観るために、浅草は老若男女、方々からやって来た観覧客で溢れかえっていた。
「いやだ、一緒に観に行こう」
「俺は遠慮しとくって言ってるだろ。これでもまだ業務時間内だし、こんな暑い中、人に揉まれるなんて冗談じゃない」
疲れ顔で告げると、今度は練の表情がにやりと、明るくなった。
「それなら大丈夫、いい場所があるんだ」
笑った口に、白い歯が覗く。
麻生は途端に嫌な予感に襲われるが、眩しい笑顔の練を目の前にして、麻生が逆らえないことは、経験上明らかだ。
遠く、花火が打ち上がる音がどん、と聞こえる。
「始まった! 早く行こう」
子供のような顔を見せる練が、麻生の腕を引いた。




腹に響くような音量を持って、夜空に咲く花火が盛大な音を上げる。
地面よりも空に近いからだろうか、練に連れられてやって来たビルの屋上から見る花火は、まるでこちらに向かって迫って来るようだ。
「見える見える!絶景だな、ここ!」
「おい、上ばっか見て歩いてると、転んで落っこちるぞ」
大輪の花々にはしゃぐ練が、麻生には少々危なっかしく見えた。
ここには柵も手擦りもありはしない。一応四方の淵は一段高くなっているものの、誤って足を滑らせでもすれば地面にまっ逆さまだ。落ちたならこの高さ、五体無事ではいられないだろう。
屋上とは言っても、ここは一般人が上ることなどは想定されていない。故に、墜落防止の柵なんて、あるわけがないのだ。
ましてや辺りは、町明かりがあるとはいえ既に夜であり、足元も暗い。
「そんな間抜けなマネしないから安心しなよ」
安心などと、よくもその口から言えるものだ。


拒否したところで練に受け入れられるはずもなく、強引に事務所から連れ出された麻生は、なんとか臨時休業の札だけをドアに下げると、そのまま手を引かれ、最上階まで階段を上がった。
滅多に人も寄り付かないそこは、白熱灯のあかりが照らすだけの薄暗く狭い空間で、階段を上がりきれば、誰のものかもわからない段ボールが隅に積まれ、その他には屋上へと抜ける扉があるばかりだ。いつ扉に貼られたものなのか、ぼろぼろになった紙に書かれた『進入禁止』の文字も、随分と色褪せていた。
練はヘアピンひとつで鍵のかかったそのドアをを開け、迷うことなく熱風の吹く屋外へ出ていく。
無論、麻生は制止したものの、彼が言うことを聞くはずもなかった。
なぜ練が麻生の住むビルの構造にまで詳しいのか、頭に浮かんだ疑問は投げかけたところで無駄なのだろう。何しろ、麻生がひっかける一夜限りの女の存在にまで精通している男だ。知らないわけがないのである。
躊躇いなく屋上へと出て行く練に促され、麻生もとうとう立ち入ったことのないこの場所へと足を進めた。

「あんたんち、最高だな」
色とりどりの花火を見つめながら、練が嬉しそうに言う。その恐ろしいほどに整った顔が、光に照らし出されては麻生の目を奪った。
確かに、下町の大イベント、隅田川花火を見る場所としては、このビルの立地は最高だ。なんたってここは、言問橋のたもとである。
加えて、こんな屋上ならば、ビルの関係者以外は上がり込んではこない。
もっとも、関係者だってこんな夜には上がって来たりしないのだろうが。築二十五年のおんぼろビルには、メンテナンスする業者だってそうそう出入りはしないだろう。せいぜい、給水塔の点検くらいのものだ。
「ほら、座れよ龍太郎。乾杯しよう」
練に手を取られ、麻生は昼中日光を吸収し、鉄板のように熱くなったコンクリートに座り込んだ。じわじわと尻から伝わる熱さに、麻生は顔をしかめる。
「なにそんな浮かない顔してんの? あんたもビール飲むでしょ? 冷たくて美味いよ」
プルタブを開ける小気味いい音を鳴らして、練がビールを一気に呷った。
ぎゅっと目を瞑って、至福の顔を見せる練に、麻生はもう何度目かの嘆息をつく。なぜ、そんな涼しい顔をしていられるのか、ほとほと疑問なのだ。
空気は暑く、じっとりと重い。
肌からじんわりと染み出す汗がワイシャツを湿らせ、ひどく不快感を煽る。
「お前は……暑くないのか」
「暑いに決まってんじゃん」
そうは言われたものの、練を見れば汗をかいている様子もないのが不思議だ。
「だからビールが美味い。あんたも飲みなってば。な?」
「…………、ああ」
手渡された冷たいビールを喉に流し込むと、ようやく息苦しい身体が、少しだけ楽になるようだった。
「風もあるし、だんだん涼しくなるよ」
首を傾げるように、隣に座った練が麻生のしかめた顔を覗き込む。
「なんだよ、花火、嫌い?」
「いいや、好きだよ。こんなに暑くなければな」
「夏だからな。しょうがねえさ」
麻生の顔を見つめる練の後ろに、花火が上がった。言葉を掻き消すような打ち上げ音に、空気と地面から振動が伝わる。
夜に浮かぶ花火の下、この屋上にはただ二人きりだった。人々の喧騒は遠い。
屋上への無断侵入も、尻から広がる熱さも、汗ばんだ肌も、練の幸せそうな顔と花火の鮮やかな様を見れば、どうでもよくなるようだ。

――夏の花火も悪くはないさ。

全く、熱に浮かされている麻生である。
緩みそうになる顔の筋肉に喝を入れて、保冷剤のおかげでよく冷えたビールを、ぐっと飲み干す。

どちらともなく、腰に手を回し口付けをしたのは、互いの足元の空き缶が二本ずつになった頃だった。




「綺麗」
二人の他には誰もいないビルの上で、花火を眺める。
リズムよく上がり続ける、夜空に咲くまばゆい花々。それは一瞬で消えていく、きわめて儚い存在だ。たったひとつ瞬きをする間に、光は確実に闇へと消えていく。
それを怖れるように、失われることを拒むように、花火は鳴り響く大きな音と共に天に上がり続けた。
ひとつ、ひとつと、花火は重なり合うように、黒い空に拡がっていく。
多分、終わりが近いのだろう。
「来年も、見れるかな」
「見られるさ」
練の頭が、麻生の肩に沈む。
麻生はその腰をぐっと引き寄せて、ぴったりと身体を寄り添わせた。まるでそれは、見上げた花火が重なり行く様に似ている。
終わりが来ることへの切なさが、麻生の胸を締め付けていた。
おそらく、練も同じ思いを抱えているのだろう。
力を入れた腕に想いを込めて、麻生は最後の花火から目を逸らす。
「龍太郎――?」
言葉を紡ごうとする練の口唇を自分のそれで封じ込め、身体をぎゅっと抱きしめる。冷えたアルコールを口にしていたというのに、それは普段よりもずっと熱く感じられる口付けだ。
続けざまにどん、と、大きく響いた音が空気から伝わって、互いの骨までを揺らした。

空から消え行く光は、閉じた視界に見ることはない。
濃厚な夏の香りは、だんだんと練の狂おしい匂いに掻き消されていく。しばらくの間、二人は暗い世界でその舌の甘さだけを味わっていた。



  ***

  
  たもと、とは言え、ビルが乱立しているだろうに、屋上に上がって見えるかどうかは、はなはだ疑問です(苦笑)
  これは取材が必要だったの!?(笑)
  2009.07