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■陥穽
激甘注意報発令中。
書くにあたって学生時代に勉強したことを思い出そうとしたのに、何ひとつ覚えていなかった悲劇……。
ということで、今回も細かいところはスルーしてください……(いっつもそんなん!)
***
「なあ、聞いてんの? さっきからさ」
来客用のソファに寝転び、練は事務机に向かう龍太郎に問いかける。
黙々と、机いっぱいに広げられた帳簿に対する龍太郎は、先程から練の存在など視界にすら入れない。
「なあってば、龍太郎」
「ああ、もう! 確定申告が近いんだ、少し黙ってろ……っ」
「俺が来てるときくらい、手ぇ休ませてくれたっていいじゃん」
「期限が迫ってるんだ」
「後回しにするあんたが悪い」
散乱した領収書や帳簿たちを前に、頭を抱える龍太郎を、練はじっとり眺める。
自営業最大の厄介事に追われていることは分かっているが、存在を無視されるのは気分がよくない。
練はふて腐れて、咥えた煙草から煙をゆっくりと吐き出した。天井に向かい口を丸く開けると、同じように輪の形をした煙が、上へと昇っていく。
もう何本吸ったことだろう。
灰皿は既に吸殻の山と化していた。
「優秀な会計士、回してやろうか?」
「いらん。いくらかかるか分かったもんじゃない」
「あんたのためなら、破格で貸し出すよ?」
よしんば練の言葉を無視しなかったとしても、どうにも龍太郎は、まともに取り合ってはくれないらしい。
ソファの縁から長い足をはみ出させ、膝から下をばたばたと動かす。もう随分と放っておかれ、さすがに焦れてきた練だ。事務机に向かわれていたのでは、ぴったりとくっついて、龍太郎の熱を感じることすら叶わない。
「ねぇ、休憩しないの?」
「しない。もうちょっと大人しくしてろ」
ちょっかいをかけ続ける練に、苛立つように吐く龍太郎だが、そろそろ練の方だって限界だ。浴びせられたそっけない一言にむっとして、ソファから足を下ろし立ち上がる。
咥えた煙草をテーブルに置かれた灰皿に押し付けると、龍太郎が座る事務椅子のすぐ後ろに立った。
「わ……っ、揺らすな馬鹿っ」
「あんたが遊んでくれないからだよ」
さっきから下を向いてばかりじゃないかと、拗ねる練は、龍太郎の肩に背後から勢い腕を回す。ボールペンを握って数字を書いていようが、そんなことはお構いなしだ。
「遊んでよ、ねえ」
「馬鹿っ、揺らすなって!」
首にまとわりついたまま、練は体重をかけるように龍太郎の身体を揺さぶった。
書類からさっとボールペンを離す龍太郎だが、練の力が強いのか、反動には逆らえず、書類を横切るようにインクが線を引く。
「練!」
「なに」
見れば、びっしりと数字や文字が書かれた紙の上に、荒い一筋の線が、不自然にその存在を主張していた。
「これ、一枚駄目になったじゃないか」
「ふーん。……で?」
「で、じゃないだろ! 一文字間違えたくらいならいいが、これじゃ最初から書き直しだ……っ」
台なしとなった書類を前に、龍太郎は声を荒げる。もっとも、当然といえば当然だ。練が焦れるほどの時間をかけて、作成してきた書類である。
「はなせ、練」
「いやだ」
「嫌とか、そういう問題じゃない」
「そういう問題だよ」
押し問答な二人の会話に、龍太郎から零れたのは、なんとも重い嘆息だ。しかし、練は駄々をこねるように、その背中に張り付いたまま、椅子に腰かけた大きな身体を揺らす。
龍太郎を眺め続けていることにも飽きた。
眺めていれば当然、その熱に触れたいと思うのだ。
そして、触れてしまえば離せない。
「おい、練……っ」
「いやだ」
もう一度告げて、なおも龍太郎を揺さぶると、握られたボールペンが小さく音を立てて書類の上に転がった。
続いて、表情は見えない龍太郎から、今度は盛大な溜め息が聞こえる。
この状態になった練には、何を言っても無駄だと観念したのか。肩からは力が抜けて、練にされるまま左右前後に揺れた。
そもそも、集中力だって欠けてきた頃だったに違いない。龍太郎だってきっと、心底悪い気などはしていないはずだ。
呆れながらも笑っていることが、背後にいる練にも気配で知れた。
「嫌いじゃないよ、お前のそういうとこ」
ぐっと、やわらかくなる龍太郎の声。練はその声に、動きを止める。
「まるで子供だ」
「そうだよ。俺はガキだからね」
ようやく噛み合った会話だ。気分がよくなる練は、背中越しに龍太郎を抱きしめ、耳元に軽いキスを落とした。
もう龍太郎からの抵抗はない。硬い髪に鼻を埋めて匂いを嗅ぐと、練がここを訪れる前に町を歩いていたのか、それとも浅草という土地自体に馴染んできたのか、抹香の香がするようだった。
「じっとしてるからさ、せめてソファに座ってやってよ」
「あんな低い机じゃ、書きづらいだろ」
「くっついてられないの、淋しいんだもの」
甘えた声に、龍太郎はもう練の存在を拒否することはない。
肩から前に回した手に重なる、龍太郎の温かい手の平。
もうあらかた計算は終わっているのだから、あとは新しい用紙に数字を書きこんでいくだけだ。それならば、そんなにも時間はかからないだろう。
「……ったく、しょうがない奴だな」
「あんたに会いに来たんだもん。構って欲しいって思うのは、当たり前でしょ」
無理な体勢を強いる代わりに、痛くなるだろう腰や背中を、後から揉みほぐしてやろうと、重ねられた龍太郎の手の熱を感じながら、練は思う。
それだけで済むとはとても思えないけれど、それならそれで、いい夜になるだろうことは間違いなかった。
毎日会うなど、可能な関係ではない。
だからこそ、こうして触れ合っていたいと思うのは、龍太郎だって同じだろう。
明日になれば、ここを訪れることができない自分を呪うより、今抱き合える時間を味わっていたかった。
***
お砂糖が吐けそう……(苦笑)
龍太郎なら、期限以前にしっかり提出してそうですが!
次の書類もダメになるがいいさ……(暴言♪) 2008.9
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