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■ジンクス
小さい頃を思い返すと、わけのわからないジンクスを信じていたり。そんな思い出から発展したネタです(笑)
ちなみに、練や龍太郎が以下文で話したジンクスめいたことは、やったことがないのですが…!
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白、白、そしてまた白の上へ――。
「気になってたんだが、それは癖か」
「ん?」
横断歩道の上、剥き出しのアスファルトは避けるように、白い部分だけを練は歩く。
跳ねるように、一歩、一歩、軽やかに脚が飛ぶ。
街灯と店々の看板灯が眩しい夜に、白いシャツがまるで蝶々のようにはためいた。
「癖って言うか、自分ルールってあるでしょ?」
「自分ルール?」
言葉の意味を理解しかねる、といった様子で、後ろを歩く龍太郎が尋ねる。
「そ、ジンクスみたいなもんだよ。白い部分だけを歩いて渡り切れたら、きっといいことがあるとか。大通りまで信号機に引っかかんなかったら、その日はいい日になるとか」
「なんだそれは」
「あんたならそう言うと思った」
練が笑った瞬間、跳びはねた脚は歩道の上へと着地していた。
練はほっと息をつく。道路を渡る間、線が引かれていないアスファルトには一度も触れていない。
「これで、帰るまで信号に捕まんなかったら最高だね」
「そういうもんなのか」
「そういうもんなの」
日もすっかり落ちた頃、龍太郎と練は外へと出掛けた。
龍太郎は煙草、そして練は夕飯の材料を仕入れる目的だ。目的のスーパーまでは歩いて十五分。そこじゃないと手に入らない食材があるのだと龍太郎に我儘を言い、近くの食料品店は通り過ぎることにした。
その間、渡った横断歩道は片道で三個。
今は両手に目的の品を入れたビニール袋を手にして、四個目の横断歩道を渡ったどころだった。
「子供みたいだな」
「悪かったね、どうせガキっぽいよ」
「俺も昔はやったぞ。ほら、側溝のコンクリートの蓋、二個飛ばしで走って帰るとか。たしかに、うまく行くと気分がいいんだよな。走ってるからか、なかなかうまいこと行かないんだ。学校から家に着くまで、足元ばっかり凝視して、たまに足が縺れてこけそうになったよ」
なごやかに話す龍太郎に、笑いが込み上げる。
「なに笑ってる」
「ううん、あんたの無邪気な子供時代って、どうも想像するとおかしくって」
心外だと言わんばかりに、龍太郎の眉が上がった。
「俺にだって、相応の子供時代があるんだよ」
「わかってるよ、そんなこと」
龍太郎の共感は得たところだが、練のうちには別の思いがある。きっと、子供の頃に、幼い頭で考えて実行するジンクスより、大人になって捕らわれてしまったジンクスの方が厄介なのだ。
しかし、それを敢えて口にする気はなかった。
きっと口にしたところで、馬鹿だな、そんなわけないさと、一蹴されるのがオチだ。
「随分、寒くなって来たな」
いつの間にか前を行く龍太郎が言う。
夜になったからだろうか。風は思ったより冷たくなっていた。そろそろコートがいる時期かもしれない。背筋からぞくりと寒気が駆けた。
「早く帰ろう」
「ああ」
手を繋ぎたい衝動をぐっと我慢して、温かい部屋を目指し練は歩く。
手、くらい、繋ごうと思えば龍太郎の思いなど無視して繋ぐのだけど、今日は一人で歩かねばならない理由があった。
いや、理由など本当はどこにもないのだけれど、どうしても、帰るまで白線以外を踏むわけにはいかない。
これはある種の強迫観念だと、練は龍太郎の後ろを行きながら笑った。
不安心理というものは、なくそうとしてなくなるものではない。
別に、いつでもどこでも、横断歩道のことを考えて歩いているわけではないし、信号機で止まる時にしたってそうだ。
これまでの人生を振り返って、横断歩道の白線以外を踏んだことなど、数えられるはずもない。むしろ、そんなことを意識して歩いていられる時間こそ稀だ。
しかし、一度考えてしまうと、あのアスファルト剥き出しの部分が、なぜか恐ろしくなる。
白線だけを渡り切る。
渡り切れたから、その日の不幸はやって来ない。
渡り切れなかったら、きっと嫌なことが起こる。
いつからそんな思考になったのか、はっきりとは思い出せなかった。はじめは、確かに龍太郎に口にした理由だけがあったはずなのに、いつしかそれを破るということが、真逆によくないことが起こるかもしれない、という考えに結び付いてしまったらしい。
論理的に考えれば、これ以上くだらないこともないだろう。
実際、渡り切れなかったからといって、不幸がやってくるわけではないのに。
意識しなかった日は、全て不幸に苛まれた、なんてこと、もちろんあるわけない。
それでも、そのジンクスを意識した途端に、不安心理が練に牙を剥いた。
否、それは反対だろうか。不安心理に襲われた瞬間、瑣末なジンクスを頼りに、心の安定を求めているのかもしれない。
「恥ずかしく、ないのか」
呆れたというよりは、どうやら微笑ましく練の様子を見ている龍太郎が、最後の横断歩道の上で問うた。
「なんで?」
「いや、いい大人がさ」
「あんたはいつもそう言うけど、そんなん関係ないで――」
ぐらり、歩道へと着地する刹那、バランスを崩した身体が斜めになって、言葉は中途半端に途切れる。
「おい……っ」
咄嗟に龍太郎の腕が、崩れそうになった練の肩を支えていた。
「気をつけろ」
「ちょっと失敗しただけだよ」
支えられた腕をいいことに、練は龍太郎の身体へと、自分の身を寄せる。ひんやりと冷たくなったシャツ越しに、龍太郎の高い体温がじんわりと伝わってきた。
「大丈夫、ちゃんと白線の上だけ歩き切ったよ」
「大丈夫……じゃないだろ、お前。酒入った時でもおんなじことしてるんじゃないだろうな?」
「さあ……。してるときもあるかもね」
「知らないぞ、ほんとに倒れても」
「バランス崩しただけでしょ、大袈裟だなあんた」
どうでもいい小言に、適当に答える練は、龍太郎の熱を直に感じながら、その心地よさに酔う。
大丈夫、今日は喧嘩もなく、いい日になるに違いない。
そう言い聞かせて、ビニール袋をまとめて片手で持つと、龍太郎の腕に手を回した。
「ちょ……っ」
「いいでしょ、うちまで、もうちょっとじゃん」
もう、この先に横断歩道はなかった。
腕を回して歩調を合わせても、ジンクスに邪魔されることはないだろう。
拭いきれない不安には気付かない振りをして、練はべったりとくっついている状況に、派手にはしゃいでみせる。
とりあえず、今夜はきっと――。
わけのわからない呪文だけを繰り返し、状況など何ひとつ改善できていない事実は、今日も置き去りにしたままだ。
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女々しいかなー………(がくり)
ごめんね、練……!!(そして今日も逃げる) 2008.11
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