■食べる楽、作る楽

  龍太郎強化月間に書いた一作。(なに!)
  龍太郎をかっこよく書こう!が目標でした(笑)
  ことごとく挫折……♪(難しい……)
  
  ***


「身体に悪いですわよ」
女性が向けた一言に、麻生はぎょっとして目の前を見やる。
よく行く喫茶店の、マスターの御夫人だった。顔はもちろん覚えている。
「よく、早食いだって注意されるんですけどね。なかなか直らないんです」
「わかります。私も早食いだって、指摘されたことがあるんですよ。痩せにくくなるから直そうって思っても、気付くとまた早く食べてるんです。習慣って、簡単には直らないものですもの」
「そうですね」
「でも、気をつけるようになって、今では随分改善したんですよ」
夫人はにこやかにそう言うと、喋りすぎたことを恥じるように、麻生に向かって謝罪の言葉を出した。
むなしい男の一人飯。たまにはそこに華があるのも悪くはない。
麻生は気にしないでくれと答えると、女性の笑顔を見送った。
ものの数分で、トレイの上に並べられたランチセットはあらかた片付けられてしまっている。今までにも、さんざん指摘されてきたことだ。
それでも、忙しい刑事時代、早食いというスキルは身につけていて損にはならなかった。碌に食事の時間さえとれないことなど、ざらにあったのだ。
今でもその習慣が抜けなくて、時間はたっぷりとあるにも関わらず、結局食事はあっという間に終わってしまう。
食を楽しむ、なんて、概念としては忘れかけていた麻生だ。
それを思い出させたのは、他でもない、もっとも愛しい恋人である。
練は頼みもしないのに、部屋に上がりこんでは勝手に食事を作った。不法侵入は別として、その好意自体は迷惑ではない。その食事が、どのレストランで出される料理より、手がこんでいて美味いからだ。
練が目の前でおいしいかどうかを尋ねる。
それにおいしいと答えて、麻生は箸を進める。
不思議と、その時間だけは、早食いにはならなかった。
麻生は、しばらく食べていない練の手料理の味を思い出し、感慨にひたる。
それは、食を味わっていると思える、唯一の時間だろう。


 ++

「何か召し上がった方がいいのではありませんか」
車内の運転席から、斎藤の声が練の耳に届いた。
「いい」
「今日は、まともに食事もしていないじゃないですか」
「食う気がしないんだ、放っておけ」
つっけんどんに練は言う。いっそ身体中をアルコールで満たしてやりたい気分だ。
酒だけでいい。ほかの余計なものなど、何もいらなかった。
今日の予定はこれで終わったけれど、自宅に戻ったからといって、腐った気分がどうなるものでもない。仕事は終わるということがなく、対するモノが変わるだけの話だ。
自宅に戻れば、今度は数字の並ぶパソコン相手に、休まる暇もなかった。
別に、休む必要もないのだけど。
「アルコールばかりでは、お身体を壊します」
「は、お前は母親か」
そう吐き捨ててから、練の頭には、愛しい人の声が蘇った。――龍太郎も、たしかそんな話をしていたっけ。
いつだったか、まさに今の斎藤の言ったようなことを、練に向かって叱ったことがあった。自分だって、酒を飲んでいるときは大して食べていないのというのに、まったく棚に上げて、である。
腹が減らないというわけじゃない。食べるときはちゃんと食べるのだ。
ただ、酒しか欲しくない夜もあるというだけで。
「……あいつも、碌なもん食ってないんだろうな」
誰に言うでもなく、練はつぶやく。
それを分かっているからか、斎藤からは何の応えもなかった。
青山はもうすぐだ。煙草と酒の匂いの染み付いた、暗い部屋まであと少し。
しかし、龍太郎のことを、思い出したからだろうか。その部屋に帰る自分の姿というものに、練はぞっとした。
とても帰りたいとは思えない。いや、考えれば考えるほど、どうしても帰りたくなかった。
疲れきった身体で、あの部屋に一人きりではいたくない。

「――浅草だ」
咄嗟に口をついた言葉に、迷いは少しもなかった。
「浅草に行ってくれ」
対して、斎藤からは短い返事だけがある。それだけで十分だろう。
車はウインカーを出して道を折れた。告げなくとも、斎藤は練の目的地を分かっている。
方向を変えた車の後部座席で、練はようやく息を深く吐き出し、シートにゆったりと背中を預けた。
浅草に行く、そう決めた瞬間に、練の中で仕事のことも、沈んだ気分も、重い気分はすべて消え去っていくようだった。
はじめから龍太郎の元へ向かえばよかったのだ。急を要する事柄など何もない。彼に会うことに、理由などはいらなかった。
龍太郎は今夜もきっと、くたびれきって、コンビニ弁当でもかっ食らっているのだろうから。




「お前な、鍵開けにくる間くらい待てないのか。ちゃんとインターホン押したなら、すぐ開けにきてやるよ」
「小言はいいよ。それより、何か食べた?」
「食べてる途中だったんだ」
「あれ? 自分で作ったの?」
午後九時、いつものごとく、何の連絡もなしに訪れた練を、麻生は拒むことはない。文句のひとつも言わないのだから、もう慣れたものなのだろう。
そんな麻生は、ちょうど食事時だったらしい。
テーブルの上に並べられているのは、味噌汁や白飯、野菜炒めに、それはおそらく出来合の惣菜だろうが、食べかけの煮魚が一匹。
「たまには、な。外食ばっかりでも飽きるんだ」
「そうそう。ジャンクばっかじゃ、舌が麻痺してくるしね。いいよ、俺には構わないでいいから食べて」
少しだけ躊躇ったあと、再び飯を食べはじめる麻生を、練は対面に座って眺めた。
不思議なことに、それだけで十分、幸せになるのだ。
「お前は、ちゃんと食ってきたのか」
「食ってない。食う気しないんだもん」
「酒ばっかじゃ駄目だって、言っただろ」
「食べるときはちゃんと食べてるからいいの」
龍太郎が言うならば、小言だって甘く感じるのだから練も相当に重症である。
あのくさくさした気分は一体どこに行ってしまったのか、注意されているという事実さえも今の練には嬉しかった。
練は温かな気持ちに包まれたまま、綺麗な箸使いで食べ物を口元に運ぶ龍太郎の様子を見続ける。
しかし、熱心に見すぎたのだろうか。気まずい顔を見せた龍太郎は、勘違いをしてしまったらしい。
「お前も食べるか? こんなもんしかないけど」
「あんたの手料理?」
「手料理ってほどのものでもないさ。お前の口に合うかも分からないしな」
自分で食べるだけなら、味付けなんておおざっぱでいいのだと、龍太郎はつけ足した。
特に、何かを食べたかったわけではない。むしろ、ついさっきまでは食べる気すら皆無だった。
けれど、龍太郎の手料理と聞かされて、食べないと答えるのももったいない気がする練だ。すっかり気分の方も浮上している。
「あんたの分、とっちゃっていいの?」
「どうせ全部は食べきれないよ。お前も、できれば飯は食べた方がいい」
炊きたての白いご飯がよそわれ、温め直された味噌汁とともに、練の前に並べられた。
いつもとは、まるきり逆のシチュエーションだ。龍太郎が用意した飯を、練が馳走される。
立ちのぼる温かな湯気と、薫立つ味噌のやわらかな香。それは練の五感を刺激し、おかしくなるほどに、練の気持ちを弾ませていった。
「いただきます」
アルコールばかりを摂取した舌に、味噌汁の温かさが沁みる。
腹が空いていたわけではないけれど、それは純粋に美味かった。
そして何より、テーブルを囲んで二人で食事をするという、久しぶりの光景が嬉しい練だ。
「毎日、飯は食えよ」
「あんたこそ、早食いはやめなよ」

次に事務所を訪れたなら、その時は料理を龍太郎のためにご馳走してやろう。練は機嫌よく思う。
すれ違いばかりの日常に、それはひとときの中日和となってくれるはずだ。
練は少しだけ塩辛い味噌汁と、塩辛い野菜炒めを口に運びながら、頭の中に記憶された膨大なレシピを引き出す。
何を作れば龍太郎が喜ぶのか、迷い想像を巡らせていることが、何よりも至福な時間だった。



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  やらないだけで、家事を完璧にこなせる龍太郎が憎い(笑)
  2008.8