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■メンソール伝説@
煙草を吸わないので知らなかったのですが、風邪の時にはメンソールがいいって、吸う方はおっしゃるそうで。
喉には悪いような気がするのですが、清涼感がたまらないのかな?(笑)
ということで、練に風邪ひいてもらっちゃいました……っ。
***
声が掠れていたのは、酒の飲みすぎ、というだけではなかったらしい。
いつもの店でワイルドターキーを呷る練が、勢い咳込んだことに、麻生は少々驚いていた。
「おい、風邪か?」
酒が気道に入ったのかとも思ったが、普段通りに酒を飲んでいた練からは、そんな間抜けな姿など想像できなかったし、身体の奥から出ているような音に気付けば、ただむせただけとは思えなかった。
「ちが……」
言葉を発した瞬間、練は再び口に手を当て激しく咳込む。カウンターの隣、麻生がその顔を覗きこめば、練は苦しいのか、うっすらと瞳には涙を浮かべている。
「大丈夫か」
麻生は心配になって、練の背中に手を伸ばして優しくその背をさすり始めた。
「……大丈夫だよ。でも」
掠れた声で答える練は、グラスになみなみと注がれたバーボンを、一気に飲み干す。
「おい……っ」
「喉、痛いんだ」
――そりゃ逆効果だろう?
ざらつく喉をアルコール度数の高い酒で潤そうとするその行為に、麻生は溜息をつく。
調子が悪いから酒を控えるなんていう、当然の判断は、練に限って言えば毛頭ないようだ。
「おかわり」
揚句の果てにこれである。
練はバーテンダーに、三杯目になるバーボンを頼んだ。
「あー、いがらっぽい……」
しかめた顔で練が呟く。その様子を眺めて、またひとつ、呆れた息を零した。
「お前でも風邪ひくことがあるから不思議だな」
至極当たり前のことなのに、そのことが、麻生にはひどく可笑しく思える。
そういえば、熱があると電話がかかって来たこともあったっけ、と、呼び起こす一年ほども前の記憶。再会してから、まだいくらも経っていない頃のことだった。
その時の麻生は、韮崎が殺された事件を追っていて、必死で練を追いかけ、総てはそこから始まった――。
「あんたはさ、俺を何だと思ってるわけ?」
ふて腐れたように、拗ねた調子で練が文句を言う。回想に耽りそうになっていた麻生は、その声に呼ばれ現実へと意識を戻した。
見つめた先に、練のむくれた顔がある。
「俺だってあんたと変わらない一般市民だし、怪我だってすれば、風邪だってひくさ」
「何が一般市民だ。全身が裏に沈んでるくせに」
「ちゃんと国民の義務は果たしてる。教育はもうとっくに終わったにしろ、勤労、納税ってね」
「よく言うよ」
批難の言葉とは裏腹、麻生の表情は緩んでいた。
手にしたグラスの中のマッカランを口にして、シングルモルトの味わいを感じながら思う。いつもの押し問答に心地よさを覚え、この日常に満足している自分がいるということを。
隣に練がいる、それが何よりの幸せだ。
できればもう離したくないと思うほどに、麻生の中の想いは強さを増していた。
「おい」
「何」
「いい加減にしとけよ」
濃厚な酒なんかでは、喉が潤せるはずもない。性懲りもなく水のように三杯目を流しこむ姿に、麻生は顔をしかめて言った。
「うるさいな」
「もうそれで仕舞いだ。南青山までは送ってやるから、今夜は薬飲んで寝ろ」
「送ってくだけ?」
途端、蠱惑的な笑みを向ける練に、思わず身じろいでしまう。
「送るだけだ」
「そんなに俺の部屋、嫌いなわけ?」
「そうじゃない」
練を視界から遠ざけて、冷静さを極力保ったままであしらう。しかし、内心はと言えば、頭をもたげ始めた情動を必死で振り払う麻生だ。
「じゃあ、あんたんとこで寝かせてよ」
「だから……、寝るだけじゃ済まんだろ、一緒にいたら……。それに、俺は明日も仕事だ。もう予約がある。風邪貰うわけにはいかないんだ」
「うつらない。体調悪いだけだから」
――それが風邪じゃない、うつらない保証がどこにある?
あんなに咳込んでおいて、それはどういう理屈なのだろうか。麻生はもっともな言葉を、故意に飲みこむ。
隣を見てはいなくとも、練がむっとするのがわかった。ともかく、だからと言って練に無理をさせるわけにもいかないだろう。
一緒に帰ったりしたら、眠るだけで済むはずがないのだ。二人きりの部屋で、仲良く並んで眠りにつけるほど、枯れてはいない。それどころか、練が相手だというだけで、年甲斐もなく欲求ばかりが膨らんでいくのだ。
それは練にしても同じだった。
互いがその調子では、一度抱き合ってしまったが最後、タイムリミットが訪れるまで、互いを離すことは叶わない。
その後しばらく、二人の間にはどことなく重い沈黙が下りた。
沈黙にかこつけて、練はその間にちゃっかりと四杯目を頼んでいる。麻生が見る限り、今日もペースは早い。
苛立っているのか、酒だけでは足りないとばかりに、練はポケットからダンヒルを取り出すと口に咥えて火を点した。
「喉、痛むんだろ」
だんまりを決めこんで四杯目を見逃していたはずの麻生だったが、ここまで来ては見てはいられないと口を挟む。
「メンソールは喉にいいんだよ」
「馬鹿、そんな理屈があるかよ」
「――ちょっ…」
くわえられた煙草を練の口唇から奪い、灰皿にぎゅっと押しつける。あからさまに不満そうな練だが、そっぽを向くと、また黙りこんでしまった。
麻生は肩をすくめて息をつく。
握った手の中でからりと音をたてる、グラスの氷。声の無くなった二人の間には、その音がやけに響くようだ。
なぜか、気まずさに似た感覚に襲われる麻生は、カウンターの上に置いたハイライトに手を伸ばした。
しかし、その右手は、ライターに火を点けたところで動きが止まる。
「どうせ、一人じゃ眠れないし、帰ったって一緒だよ」
発せられた練の声は、どこか寂しげだった。
「部屋の中に転がる酒瓶と、灰皿に潰される煙草の量が増えるだけでさ」
麻生は止めた手を動かすと、咥えた煙草に火を点ける。
顔を背けたままで話し出した練の声を、煙草をふかしながら、静かに聴いていた。不意に弱くなる練の様に、どう言葉を組み立てたらいいのか、麻生は考えあぐねる。
言葉を探して、口を閉ざした少しの静寂の後、練はグラスに口をつけ、もう何度目かの咳を吐き出した。
「練」
麻生は左手を伸ばすと、後ろを向いたままの背中にゆっくりと沿わせる。幾度も繰り返しその背を撫でていると、練の肩から力が抜けていくようだった。
覚悟を決めた麻生が、明日はまた寝不足状態での仕事だと、心の中で苦笑する。
慢性化しているとは言っても、歳を取ったからだろうか。身体に堪えるのがつらいところだ。
「じゃあ、それが最後の一杯だ。いいな?」
練がこちらを見る。
麻生はその素直さに笑って、バーテンダーに会計と、タクシーを一台頼んだ。
「一緒に帰ろう」
「いいの?」
「いいよ。ただし、ほんとに風邪がうつったら承知しないからな」
肩に凭れかかる練の身体は熱い。
それがどこから来る熱のせいなのかは、麻生にも判断が付かないままだった。
***
続きます(笑) 2008.6
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