|
■覚めてしまえば
ふたつの顔を持つ練を、目のあたりにする龍太郎と、
不意に、暴かれてしまう練。
どっちの心中も切ないなぁ……なんて。
***
脱ぎ散らかしたシャツの上で、携帯がうるさく振動していた。
練は耳を塞ぎたくて手を動かすと、自分が龍太郎の腰に手を回していたことに気付く。温かいのは、龍太郎の腕に抱かれていたからだ。
「ん……」
狭いベッドの上、痛む頭の向こうで、意識がはっきりしてくる。
腕の中の心地よさを手放したくなくて、とても動く気にはなれなかった。
重い瞼は開かない。朝の光が差しこんでいることだけはわかったけれど、寝足りなかった。身体はまだ眠りを欲している。
俺は出ないぞと、練は苛立ちながら思った。
その思いが通じたのか、ただ向こうが諦めただけなのか、しつこく振動していた携帯がとまり、練はほっと息をつく。
邪魔するな、そう心中で毒づいてから、龍太郎の素肌に顔を擦り寄せ、落ち着く匂いを嗅いだ。
そう長くはない、幸せの時間。他者に踏みこまれるなど真っ平である。
だがしかし――。
「……っ」
間、一分もなく、携帯電話のバイブレーションが始まった。
しつこい野郎!! 練は吐き捨てたい気分でようやく目を開け、龍太郎の肌につけた腕をほどく。ゆっくりと体勢を変えると、手をベッドの下に伸ばして、手探りで振動し続ける携帯を握った。
現実へ引き戻す、嫌な機械音。
ディスプレイを見て、ますます練はげんなりする。
「起きるなよ、龍太郎……」
温かな手から逃げ出すことはできなくて、ぴったりと身体をくっつけたまま、練は通話ボタンを押した。
「……なんだ、朝っぱらから」
電話ごしに響く声に、練の眉が寄る。
龍太郎をこんなにも近くに感じて、なぜ不粋な男の声を耳にしなければならないのか。はなはだ不愉快だった。
「何時だと思ってる、今日は昼からの予定だろう?」
時計の長針が指し示すのは、やっと九時のところだ。無理矢理目覚めさせられるなんて冗談じゃない。
練は携帯電話を耳に押し付けたまま、天井を睨む。
「……ふざけんな、そいつは待たせとけ」
龍太郎の声で目覚めて、まどろむ朝を迎えるはずが、これじゃ最悪な目覚めだ。
「もう掛けてくんな」
何かを言いたげな斎藤の声を無視し、練は通話を無理矢理に切ってやった。
ツーツーと、鳴る機械音までが、更に練を苛々させ、携帯電話を部屋の隅へと投げ捨てる。その衝撃で電池パックが外れたみたいだが、そんなことはどうだってよかった。
龍太郎を起こすまいと、極力小さくした声は、余計に苛立ちを煽ったみたいだ。
もやもやとする胸中を抱える練の耳に、龍太郎の寝息が届く。
少しだけ息が楽に出来るようで、顔を横に向けて龍太郎の安らかな寝顔を見やった。
眠ったのは明け方だ。疲れ気味に見えた龍太郎は、起こさなければ、昼近くまでは眠っているだろう。
それだけが救いだった。
練は龍太郎の硬い髪を数回撫でて、再び胸元に顔を埋める。
「ごめんね、龍太郎。俺、行かなきゃなんないんだ」
規則的に寝息を吐く口に、練は軽く口唇を合わせた。昨夜、激しく求めた龍太郎に、身体の方はまだ、足らないと訴えているようだ。
しかし、行かなければならない。
甘い時間は、いつも不意に終わってしまうのだ。
どれだけ心が求めても、手に入ることはない。
「……ん…、練……」
腕をすり抜ける練に、龍太郎は夢うつつのままに呟く。
「あんたは寝てて、龍太郎」
きっと未練がにじんでいるだろう背中を見られたくはなくて、練は願った。
まだ、あんたは夢の中にいてくれ、と。
最後に頬へとキスを落とし、練は龍太郎の熱から身体を離した。
たまらなく名残惜しい。
眠る龍太郎に背を向けたまま、締めつけられる胸に、身体が震える。ベッドの際に腰をかけ、床に散らばったシャツやネクタイを拾うことすら、指先が痺れて容易ではなかった。
すぐ傍に、焦がれる人がいるのに――。
「行くのか、練」
「……っ…」
降りかかった声に、練の身体がびくりと跳ねた。
後ろから伸びる龍太郎の腕が、素肌の腰に触れ、ぎゅっと腹のあたりに回る。
やめてくれと、反応する身体に練は喘いだ。
「あんたは寝てなよ。休みの日くらい寝とかないとさ、目の下クマで真っ黒になって、クライアントにも逃げられちゃうぜ」
振り返ることは出来なかった。
練は伸ばされた腕を払うように立ち上がると、手早く衣服を身につけ、部屋の片隅で分解している哀れな携帯を拾い上げる。
電源を入れれば明かりがつくことを確認し、縛ってはいないネクタイを片手に歩き出した。
「今夜も、俺はここにいるからな」
だから、来れるなら来いと、龍太郎は言いたかったようだ。
応えを返すことは、やはり叶わなかったが、大好きな龍太郎の声が、耳の奥に張り付く。途端に泣きたくなる練は、自分を叱咤して足を動かした。
扉を開け、薄暗く寂しい廊下に立ち尽くす。
龍太郎の恋人という姿から、電話一本でヤクザの幹部へと変わらねばならない皮肉さに、練は嘲笑を零した。
雑居ビルの階段を下りながら、直したばかりの携帯電話を取り出し履歴を開く。
コール一回、待ち構えていたかのように繋がる回線に、練は口元を歪める。
「車を回せ。場所は、……両国に、十五分後だ」
しばらくは歩きたかった。
痛む胸を抱えたままで、すぐには裏の顔へと戻せそうにない。
今日の仕事は早く終わるだろうか。
龍太郎の部屋に、戻ることはできるのだろうか。
後ろ髪引かれる思いで、練は浅草の町を歩く。未練がましい恋情を、ひとつ、ひとつと振り払うように、一歩ずつ歩みを進めた。
似合わない朝の光を浴びて、闇の世界へと沈んで、いつまで龍太郎は見放さないでいてくれるのか。不安は日に日につのっていく。
考えれば考えるほど、練にはそれが、とてもつらかった。
***
塩味な話を書くと、落ち着く……(笑)
龍太郎を起こすつもりはない練ですが、こんな派手に携帯投げ捨ててたんじゃ、話にならん!(ほんとにね★)
2008.8
|