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■6:動かない右手
『私立探偵・麻生〜』にて、練が住宅情報のチラシを見ていた時の後日妄想。
この時点では、自分から電話を切る練の気持ちは分かっていない龍太郎……っ。
***
深夜の街は様々なネオンに彩られ、俺はすっかりくたびれた姿でその明かりを眺めた。携帯を取り出したついでに時刻を確認すると、ますます重い疲労が肩にのしかかるようだ。
着信はなし。プライベート用の携帯だ、そんなこと珍しいことでもない。
だが、少し寂しい気持ちにもなるのだ。
特にこんな、どこまでも一人の夜は。
例えば、あいつの声が聴きたいなんて思ったとしても、それもしょうがない。
しかし、俺はボタンを押すことができなかった。
簡単なことだ。履歴から、うるさいくらいに並んだ練の番号を選んで、通話ボタンを押す。ただそれだけ。
親指に僅かな力を入れるだけで、小さな機械はあいつに繋がり、声を届けてくれることだろう。
柄でもないと、そう思っているのか。自分から電話するなんて、格好悪いと思っているのか。
ともかく、躊躇う自分がここにいる。
今夜はいっそ飲み潰れてやろうか、と思っても、明日の仕事に響くと思えばそれもできない。
自営業は身体が資本だ。
そもそも、毎晩飲み歩くような金もない。
そう思ったら、途端に情けなくなって、笑えてくるってもんだ。
「――練、」
手の中の携帯が振動する。
煌々と夜に光る、ディスプレイ。
そこに表示された、『山内 練』の文字。
「何だ」
俺は、三回のコールを待ってから、通話ボタンを押した。親指はすんなりと動く。
そこには、受動的な意味合いしかないのだから、それも当然と言える。
「練?」
『何か用がないと、かけちゃいけないわけ?』
「そうじゃないけど」
言われてはっとする。
そう、声が聴きたいから電話する。それに理由などは要らないはずだ。
『一人で飲んでたらあんたの声が聴きたくなったんだ』
「ほんとに一人なのか? 今日は、その……」
『一人だよ。会社だし、隣に斎藤はいるけど』
一歩一歩、引き返せない世界へ足を踏み入れていく練。それを俺は、ただ見ていることしかできないのだろうか。
最近殊に、練の考えていることを、受け入れられない自分に気付かされる。
『あんたは? まだ帰ってないの?』
「ああ、今まで仕事してたんだ。すっかり遅くなっちまった」
『そ、お疲れ。で、これからあんたも酒?』
「やりたいとこだがな、金がなくて」
電話の向こうで黙った練に気付いて、しまったと思う。
「いや、今度はきっと、お前んとこ行くから」
『いいよ、そんな調子のいいこと言わなくても』
「調子いいことなんかじゃない」
そう言ってはみたものの、とんでもなく白々しい言い訳だった。
小難しいことを考えるのはなしにしようと自分から言っておいて、結局今日だってあれこれ考えているのはこっちの方だ。
練はとても素直に、ただ聴きたいからと電話をかけることができるのに。
俺にはそれができない。
「今度また飲もう」
『あんたんとこで?』
「どこでもいいよ、本当に」
『ふぅん……。じゃ、あんたが決めてよ』
「いいよ。今度は、俺が指定する」
『そんなこと言って、電話のひとつも寄越しやしないくせに』
練がしょうがねえな、とでも言うように笑う。
またひとつ、言い訳をするように口を開いた時、ぷっつりと回線は切れていた。
ツーツー、と、冷たい電子音が鼓膜に届く。
「あいつまた……」
切れた電話を持ったまま呟いては見たものの、どちらに否があるかは歴然としている。
文句を言う資格などは、俺にはなかった。
今日もまた、電話を切るのは練の方。俺はいつも切れた携帯のディスプレイを眺めるだけだ。
またしばらく、練からの電話を待つのだろうか。
決心がついて俺の右手は携帯のボタンを押すのだろうか。
動かない親指どころか、俺の足も、練の家に向かって歩き出すことはないのだから、救いようがない俺である。
***
電話を切る、という『私立探偵〜』の描写には、何度泣かされたことか……苦笑。
俺には焦げた肉がお似合いさ……とか、言ってる場合じゃないよ、龍太郎!(笑)
2008.7
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